画像引用:https://www.rollingstone.com/
本日ご紹介するのはご存知『ボヘミアン・ラプソディ』です。
めちゃくちゃヒットしたので、多くの人がご覧になっているかと思います。まだという人は、もしかするとロックや音楽に興味がなかったりするのかもしれませんね。
かく言う僕も普段は音楽を全く聴かず、ついこの間まで「あいみょん」を「伸びるアイスクリーム」か何かだと思っていたほどなのですが、『ボヘミアン・ラプソディ』めちゃくちゃ面白かったです!! ぜったい見たほうがいい!!
ロックなんかキョーミない、ふだん映画を見ない、流行りすぎて抵抗ある……そんな理由でこの傑作を見逃すのはもったいない!! ということで、あらすじや見どころなど、ご紹介して行きたいと思います!
『ボヘミアンラプソディ』あらすじ
※再生すると音が出ます
1980年、ロンドン。空港で積み荷を下ろす仕事をしている青年。長髪で、インド系、大きな前歯が特徴のその青年は、バスを待つ時間などにノートに向かって夢中で作詞をしている。
ある晩、青年が夜中に出かけようとすると、帰宅した父親と鉢合わせる。「“善き思い、善き言葉、善き行い”を心がけろ」と説教する父親を尻目に、青年は街へ出かける。
画像引用:https://nme-jp.com/news/64098/
出かけた先のライブハウスで青年はギターのブライアン、ドラムのロジャーらのバンド「スマイル」に注目する。
脱退したヴォーカルの代わりにバンドの一員になった青年は、そこで天才的なパフォーマンスを発揮する。バンドは『クイーン』という名前で再スタート。青年も本名のファルーク・バルサラから「フレディ・マーキュリー」に正式に改名する。
フレディはガールフレンドのメアリーと婚約。バンドもイギリスで一番大きなレコード会社と契約する。型破りな音楽作りと圧倒的パフォーマンスでスーパースター・バンドになってゆくクイーン。しかし成功を手中に収め、世界中をツアーで回る日々の中で、フレディとメンバーたちの間に少しずつ亀裂が生じ始める。
ある日フレディは自分がゲイであることをメアリーに告げ、二人は別れて暮らすことになる。
メアリーという精神的支柱を失ったフレディの生活は荒れ始める。自身もゲイであるマネージャーのポールとつるんでパーティーに明け暮れる日々。メンバーとの間に生じた亀裂はますます拡がってゆく……
キャストについて
画像引用:https://bunshun.jp/articles/photo/10280
「生き写し」演技の秘密とは…?
フレディ・マーキュリーを演じたのはラミ・マレック。
1981年アメリカ生まれですが、そのルーツはエジプト系で、そこがインド系の移民だったフレディと同調していくにあたってのきっかけになったそうです。
本作の単なるコピーの域を超えた「フレディ・マーキュリーの魂が乗り移ったのではないか」と思うほどの演技は圧巻です。
その動きは「ムーブメント・コーチ」という肩書きのスタッフの協力によって完成したのだそうです。単に動きを真似るのではなく「なぜそういう動きになるのか」ということを内面、心理面から考え直して再現するのだとか。
当然、と言いたくなるのですが、マレックは本作で見事アカデミー主演男優賞を獲得。世界的スターにの仲間入りを果たしたマレックの今後にも注目です。
まさかのご本人登場!?プレッシャー半端ない!
その他、クイーンのギター、ブライアン・メイをグウィリム・リーが、ドラムのロジャー・テイラーをベン・ハーディが、ベースのジョン・ディーコンをジョー・マッゼロが演じています。
ブライアン・メイとロジャー・テイラーの二人は現在も「クイーン」として活動しているリヴィングレジェンドなのですが、二人とも「音楽総指揮」の肩書きで映画のスタッフに名を連ねており、撮影現場にも顔を出すことがあったのだとか。
本人を前にして演じるって、フレディを演じるよりプレッシャーがあったのではないでしょうか。二人の役者に敬意を表したいです。
監督について
引用:https://www.cinematoday.jp/
エンドロールなどでクレジットされるのは『ユージュアル・サスペクツ』『X-メン』シリーズ、『ジャックと天空の巨人』などで活躍する売れっ子、ブライアン・シンガー監督。しかし、シンガー監督は全体の残り1/3に当たる3ヶ月の撮影期間を残して解雇されてしまいます。
代行として起用されたのはデクスター・フレッチャー氏なのですが、この件に関してWikipediaでは次のように記されています。
全米監督協会の規則に従って、クレジット上はシンガーが監督、フレッチャーが製作総指揮として記載されている
シンガー監督の解任はメインキャストとの衝突が原因とも言われていますが、真相は不明です。原因とか、ギャラの分配とか、いろいろ気になりますね。
『ボヘミアンラプソディ』の世間的評価ってどう?
引用:https://www.google.com/amp/s/movieweb.com/
意外なことに、本作の公開前の評判はあまり良くなかったそうです。「闇落ちしたフレディのクズさ加減の描き方がユルい」「深みがない」と、批評家たちは思ったのだそうです。
たしかに、フレディの夜遊びや、暴君ぶりは映画の中では詳細に描かれることはありません。ロジャーがフレディに「お前は時々本当にクズになるよな」と吐き捨てる場面があるのですが、そのクズっぷりは、観客がフレディに対して「こいつクズだなあ」と眉をひそめるような直接的な描き方にはなっていません。
そんな、あまり芳しくない前評判ながら、蓋を開けてみるとご存知の通りの超ウルトラメガヒット。「批評家」たちは何を見落とし、観客たちは何を感じ取ったのでしょうか?
「深み」と「観客満足度」のせめぎ合い
映画には動員数の他に「観客満足度」という指標があります。映画は観客あってのものなので観客が満足するに越したことはないですのですが、観客満足度「だけ」を求めると、どれも似たような、平均的な「良品」に収まってしまうというリスクもあります。
そういう映画は見てから1年くらい経つと「あー、あれ面白かったわ。あんまり覚えてないけど」となってしまいます。
高い観客満足度(だけ)を売りにする平均的な良品映画の特徴として、「幸福な状況が長く続く」「幸福が破綻する際の衝突があっさり」「そこからの回復が早い」などが挙げられます。
それらを意識して本作を見てみると、前半は軽快な音楽に乗ってフレディとクイーンのトントン拍子のサクセスストーリーが展開されており、イヤなヤツを懲らしめてスカッとするシーンなどもあって、幸福な時間が長く描かれます。
また、たとえばマーティン・スコセッシ監督の大作『カジノ』(1995年)におけるロバート・デ・ニーロとシャロン・ストーンの泥沼化する夫婦関係と比べると、フレディとヒロイン・メアリーの関係は、衝突するのも、和解するのもアッサリしているように見えます。
批評家たちが『ボヘミアン・ラプソディ』に対して「平均的な良品」というレッテルを貼ろうとする要素は確かにあるのです。
しかし、何年かのちに『ボヘミアン・ラプソディ』を振り返る人が「ノリが良くて面白かった。あと猫が可愛かった」みたいな薄い感想を述べることはないでしょう。
本作は決して「平均的な良品」などではなく、「10年に1本、あるかないかの大傑作」だからです。
『ボヘミアン・ラプソディ』の2つの“核”
引用:https://toyokeizai.net/articles/amp/253276/
本作には、批評家や昔ながらの映画ファンの目にはユルく見えるようなライトな描き方で、今の観客たちの目を「満足」させているという一面が、たしかにあります。
しかし、フレディ・マーキュリーを魔術か何かで蘇らせたようなラミ・マレックのパフォーマンス(台詞、動き、演奏)を見ていると、ここに映し出されている1秒1秒が奇跡のように思えてきます。ライトとはとても言い難い、濃密なリアリティがそこにはあります。
さらに、観客満足度「だけ」を狙ったライトな良品と本作との間には、明らかな違いがあります。
それは「ライブ・エイド」の演奏シーンです。このシーンがたっぷり20分描かれて、本作のトータルの上映時間は、今の平均的な観客の許容量を遥かに超えるであろう、133分にもなっています。
削れるところをできるだけ削ってライトにしつつ、最後に「演奏シーンをほぼノーカットで流す」という、全然ユルくない、妥協のかけらもない表現で、観客の心をガッシリと掴んでくるわけです。
映画のタイトルでもある『ボヘミアン・ラプソディ』をはじめ、紆余曲折あったクイーンがその場に立って歌うことで、歌詞の一言一句が、音符の一つ一つが心を打つ、奇跡のパフォーマンス。これがこの映画の最強の個性となっています。
ブライアン・シンガー監督が途中降板したことがどのような影響を及ぼしているのか分かりませんが、本作は結果として、「見やすさ(ストレスのなさ)」=観客満足度と深い感動を両方獲得し得る作品に仕上がっています。これが、空前のヒットを記録できた理由ではないかと思います。
『ボヘミアン・ラプソディ』はヒーロー映画!?
ブライアン・シンガー監督と言えば『X-メン』シリーズや『スーパーマン・リターンズ』を撮った監督ですが、本作もある意味で「ヒーロー映画」だと言えるかもしれません。
冴えない青年が「フレディ・マーキュリー」というヒーローに《変身》して、世界を救い、去ってゆく……
これ、まさにアメリカンコミックに登場するような、ヒーローの姿ではないでしょうか。制作側がどれだけ意識していたか分かりませんが、ブライアン・シンガー監督に白羽の矢が立ったというのは、偶然ではないような気がします。
ファルーク・バルサラ青年がフレディ・マーキュリーに《変身》したのは、自己の中の真実を見つめた結果でした。そして強烈なスター性を持つ「フレディ・マーキュリー」という存在に彼自身が取り込まれそうになるというのも、まさにヒーローの苦悩です。そんな苦悩を乗り越えて、かつて傷つけ別れた人たちと和解してゆく様子は魂を揺さぶられるほどに感動的です。
ロック嫌いの私を、ロック好きにさせた!(作品感想)
冒頭で少し言ったように僕は普段、ロックはもとより音楽全般をまったく聴かない人間でした。高校の頃、夏休み前日に友達が「これ最高だから聴いてみ」とエアロスミスのアルバムを貸してくれたのですが、1秒も聞かないまま夏休み明けに返したほどです(「1曲目が良かった」とか何とか誤魔化して)。
自分をさらけ出すことや、聞いている大勢が一体になることを、どこかダサい、恥ずかしいものだという認識がブレーキをかけていたのだと思います。
クイーンの『ウィー・ウィル・ロック・ユー』などはその典型的な楽曲で、歌詞の意味も知らずに「ムリ、ムリ、ムリ!」と敬遠していました。
それから十数年……「流行ってるから見ておくか」程度の感覚で見に来ていた映画『ボヘミアン・ラプソディ』で、この曲を演奏するシーンが出てきました。
字幕で流れた歌詞を見てみると、この曲は僕のような斜に構えたダセえヤツ、街で粋がってるヤツ、絶望した老人……つまりメインストリームから外れた人間たちへの、ド直球な応援歌でした。まさに「ウィー=俺たち=クイーン」が、僕の肩を掴んで揺さぶってくれているような感覚になりました。
映画という形で「俺たち(クイーン)」が、「俺(フレディ)」がどのような人間かというのを見てきたからこそ、その鼓舞は、ただの歌詞のワンフレーズを超えたものとして響いてきました。
映画の終盤に歌われる『ウィー・アー・ザ・チャンピオン』もまた、同じ文脈でした。ここでの「ウィー」は、聴いている僕も含めた「俺たち」です。
ネットで「ウィーアーザチャンピオン」と検索すると「パンク全盛の時代に、俺達がチャンピオンだと誇示した」というような説明も出てきますが、少なくともこの映画で歌われる『ウィー・アー・ザ・チャンピオン』は、弱き者、はぐれもの、負け犬たちに寄り添って、それでも胸を張ろうという、究極の励ましになっています。
マウントを取ってくる勝ち組の人間を「ルーザー」と呼び、「かまってる時間はない」と断言します。『ウィー・ウィル・ロック・ユー』のようにがっしりと肩を掴むのではなく、そっと背中に手を置いて、正しい方向へ導いてくれるような、そんな優しさを持っています。
表題にもなっている『ボヘミアン・ラプソディ』もライブ・エイド歌われます。その歌詞は「死にたくない」「もう現実に戻る時間だ」など、フレディを取り巻く環境と奇跡的にリンクし、もう涙と鼻水が止まりませんでした。
映画を通して、応援上映や発声可能上映に行かなかったことが後悔されるほど、僕は伝説のロックバンド、クイーンとフレディ・マーキュリーの大ファンになりました。
もう「ロックなんか聴かない」なんて言いません、絶対!!
『ボヘミアンラプソディ』の結末(ネタバレ)
引用:https://www.cinemacafe.net/
※本項には作品のネタバレが含まれますので、お気をつけください!!
壊れそうになるバンドの結束を固めるのは、いつも音楽だった。スタジオで向かい合えば、フレディたちの個性は激しくぶつかり合いながらも、相手の才能に敬意を払うことができた。しかし、折に触れてメンバーと対立していたマネージャーのポールがフレディにソロ契約の話を持ち込んできたことで、バンドの結束は完全に崩壊してしまう。
莫大な契約金を得てソロアルバムを制作するフレディ。バンドとしてのクイーンに世界最大のチャリティコンサート「ライブ・エイド」への参加オファーが舞い込むが、ポールがフレディへの連絡をことごとく遮断してしまう。
ある日フレディが自宅で作業しているとメアリーが直接訪ねてくる。これまでの態度を反省したフレディはメアリーと再び一緒に暮らしたいと申し出るが、断られる。メアリーは新たな恋人の子供を妊娠していたのだった。ショックを受けながらもメアリーの妊娠を祝福するフレディ。そしてライブ・エイドのことを隠していたポールを解雇する。
フレディはバンドメンバーに誠意を込めて謝罪し、和解。クイーンとしてライブ・エイドに出演することが決まる。しかしその時すでにフレディの身は、当時不治の病であったエイズに侵されてしまっていた。練習のあと、バンドメンバーに自分がエイズであることを告白するフレディ。深く悲しみながらも、残された時間を価値あるものにすると誓い合うクイーンのメンバーたち。
そしてライブ・エイド当日。フレディは会場へ向かう前に、恋人のジム・ハットンを伴って実家を訪れる。父親にライブ・エイドに出演することを伝えるフレディ。「“善き思い、善き言葉、善き行い”だ。父さんの教えと同じ」。父親はフレディを強く抱きしめる。
開演。魂のこもった圧倒的なパフォーマンスで、会場のみならず、衛生中継された世界中のオーディエンスを魅了するクイーン。チャリティ目標額の100万ポンドも達成させて、フレディとクイーンによる伝説のライブは幕を閉じる。
サウンドトラック
《収録曲》
1:20世紀フォックス・ファンファーレ
2:愛にすべてを
3:ドゥーイング・オール・ライト (…リヴィジテッド)
4:炎のロックン・ロール (ライヴ・アット・ザ・レインボー・シアター、ロンドン、1974年3月31日)
5:キラー・クイーン
6:ファット・ボトムド・ガールズ (ライヴ・イン・パリ、フランス、1979年2月27日)
7:ボヘミアン・ラプソディ
8:ナウ・アイム・ヒア (ライヴ・アット・ハマースミス・オデオン、ロンドン、1975年12月24日)
9:愛という名の欲望
10:ラヴ・オブ・マイ・ライフ (ライヴ・アット・ロック・イン・リオ・フェスティヴァル、1985年1月18日)
11:ウィ・ウィル・ロック・ユー (ムービー・ミックス)
12:地獄へ道づれ
13:ブレイク・フリー(自由への旅立ち)
14:アンダー・プレッシャー [feat. デヴィッド・ボウイ]
15:リヴ・フォーエヴァー
16:ボヘミアン・ラプソディ (ライヴ・エイド、ウェンブリー・スタジアム、ロンドン、1985年7月13日)
17:RADIO GA GA (ライヴ・エイド、ウェンブリー・スタジアム、ロンドン、1985年7月13日)
18:AY-OH (ライヴ・エイド、ウェンブリー・スタジアム、ロンドン、1985年7月13日)
19:ハマー・トゥ・フォール (ライヴ・エイド、ウェンブリー・スタジアム、ロンドン、1985年7月13日)
20:伝説のチャンピオン (ライヴ・エイド、ウェンブリー・スタジアム、ロンドン、1985年7月13日)
21:ドント・ストップ・ミー・ナウ (…リヴィジテッド)
22:ショウ・マスト・ゴー・オン
キャスト
フレディ・マーキュリー……ラミ・マレック
メアリー・オースティン ……ルーシー・ボイントン
ブライアン・メイ……グウィリム・リー
ロジャー・テイラー……ベン・ハーディ
ジョン・ディーコン……ジョゼフ・マゼロ
ジョン・リード……エイダン・ギレン
ポール・プレンター……アレン・リーチ
ジム・ビーチ……トム・ホランダー
レイ・フォスター……マイク・マイヤーズ